こんにちは、寝袋!です。
山を計画して、登って、降りてくる。
私たち登山者は、毎週、毎月、季節ごと、それを繰り返しています。
どれもが思い出深い登山になるとも限りません。
実際は不完全燃焼な登山もあるし、辛い・嫌な思いをすることすらあるでしょう。
それでもいくつかの登山は、強い印象や感動を自分に与えてくれて、今後何年にも渡って記憶に留まって光り輝きます。
ふとした時につい脳裏に浮かぶあの風景、笑いあった仲間との会話、歯をくいしばったあの坂、怖かった岩場、とか。
「あの山はよかったよなあ。また行けるかなあ」
今回は、そんな印象深い登山(年に何度かの大縦走だったり、厳しいチャレンジだったり、あこがれの山だったり・・・)を終えたあと、
「思い出になるには、まだそんな遠くない」
そんな期間の話をしたいと思います。
登山者ならきっと同じように感じていると、そう思っているのですが、どうなのかな?
痛みが嬉しい
山から降りて、美味しい物を食べお風呂に入り、着替えてサッパリしますよね。
そして翌日からは下界での社会生活・日常生活にまた戻っていくことでしょう。
ただ、それでもまだ私達登山者は、きっと昨日までの山のことを感じていると思うんです。
駅の階段を上がるときの、太ももの疲労感。
登山靴で傷んだ足の、ヒリヒリと擦れる感じ。
ザックのベルトが食い込んだ、肩の違和感。
食べても食べてもお腹が空くような、脱力感。
などなど。
体に痛みを感じるたびに、それがスイッチとなって、
「ああ、山行ってきたんだよなあ。良かったなあ」
と、山のあの時間に引き戻してくれます。
ハードな山ほど、その残された痛みも激しいでしょうから、
「痛いんだけど、ちょっと誇らしげ」
に足を引きずったりして。
登山者にとっては、うれしい痛みだと思います。
薄れていく・・・寂しさ
ところが、その痛みってどんどん薄れていきます。
筋肉痛がおさまって、次第にスムーズに動いていく脚。
靴ずれやタコで痛かった皮膚が固くなって、意識から消えていく。
草木で切れた切り傷も、いつの間にやらキレイに消えてたり。
私は寂しいんですが、みなさんはどうなのでしょうか?
もちろんその登山のことは、思い出として、記憶として、残ります。
写真を見たりGPS記録を見たりして思い出せるものの、それは体験というより、映画か何かの映像の記憶のようになってしまうんですよね。
痛みとか辛さとか、体験としての記憶じゃなくなっていく気がしてます。
だから、私は登山後に痛みが残っている時間に、その登山のことをなるべく振り返りたいなと思ってます。
この痛み、どうかこのまま消えないでくれ!(←これもなんか違う?)
登山後の、さみしーい時間の話でした。