こんにちは、寝袋!です。
北海道で、登山者がヒグマに襲われた事件で、もっとも有名なのが、
カムイエクウチカウシ山福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ襲撃事件
です。
部員5名が次々とヒグマに襲われ、3名の死者を出しました。
テレビ番組や本でも、何度となく取り上げられている事件ですが、あらためて、分析してみます。
私が注意を引かれるのは、実は福岡大の前にも、同じヒグマによると思われる襲撃があったことです。
「このヒグマはいつから人を襲っていたのか?」
「そうなるきっかけは何だったのか?」
2019年、同じカムイエクウチカウシ山で、またもや連続して登山者が襲われました。
なぜこの山では、時々こういうヒグマ事件が起きるのでしょう?
目次
日高山脈カムイエクウチカウシ山とは?
北海道日高山脈で、幌尻岳に続く第二の高峰(標高1,979m)です。
日高山脈らしい沢登り、カールを抱いた急峻さで、
「クマも転げ落ちる山」
というアイヌ語の名前が付いています。
頂上直下の八ノ沢カールは、高山植物が咲き乱れる楽園です。
ヒグマにとっても住みやすいようで、フンや掘り起こしなどの形跡が必ず見られる場所でもあります。
ヒグマ襲撃事件の概要
福岡大学のヒグマ襲撃事件は、1970年7月に起きました。
部員5名のうち3名が亡くなるという、とても痛ましい事件でしたが、結果的にヒグマは射殺されました。
福岡大ワンダーフォーゲル部の縦走計画
福岡大学ワンダーフォーゲル部(以下、福岡大W部)は、カムイエクウチカウシ山に登ろうとして事件にあったわけではありません。
日高山脈の主要部を縦走するべく、芽室岳から入山しペテガリ岳で下山する予定でした。
7/14に入山し、事件のあった7/25まで、10日間以上を山の中で無事に過ごしてきたのです。
「クマのいない九州の人で、対応を知らなかった」
というだけで済ますのは、短絡的でやや強引な気がします。
事件は、ゴールが見えてきた縦走の終盤に起きてしまったのでした。
1回目のヒグマ襲撃(7/25夕方、九の沢)
部員がテントを設営してゆっくりしていた夕方、ヒグマが6、7mの距離に出現します。
部員たちはテントの中から様子をうかがっていましたが、ヒグマが外に置いてあった荷物をあさりだしたので、追い返しました。
火を焚いて、食器を鳴らしたということです。
2回目のヒグマ襲撃(7/25夜)
その夜、ヒグマはまたテントに接近してきて、テントを破ろうとしました。
「こぶし大の穴が開けられた」
ものの、被害はなく、ヒグマを追い返すことに成功しました。
部員たちは2名ずつ、交代で見張りを立てて夜を過ごしました。
3回目のヒグマ襲撃(7/26朝)
ヒグマは早朝にまた襲撃してきました。
今回の襲撃はしつこく、無理やりテントの中に入ろうとするので、部員たちはテントから逃げ出します。
ヒグマは、倒れたテントの中からザックをくわえては、林の中に隠すという行動を繰り返しました。
リーダーは、部員2名を下山させ、営林署にハンターと救助の要請をさせます。
2名が救助依頼へ走る
2名は走って下山しますが、途中、同じく下山途中の北海学園大学パーティーと出会います。
そこで、彼らに地上への要請を任せることにしました。
北海学園大学パーティーは、彼らに装備と食料と燃料を貸してくれましたので、2名はそれを持って仲間の元へ戻ることになりました。
5名はカムエク付近の稜線で、無事に合流することが出来ました。
じつはここで、鳥取大、中央鉄道学園のぺーティーと接触しています。
福岡大W部だけが、そこにいたわけではないのです。
しかし、他のパーティーはカールなどへ下山を急ぎ、福岡大W部は稜線上にテントを張ることにしました。
4回目のヒグマ襲撃(7/26夕方)
そして夕方、彼らはまたもや襲われることになりました。
そして、ここで1名がヒグマに襲われて死亡してしまい、1名は転落してはぐれ、行方不明になります。
残った3名は、岩陰でビバークし、朝を待つことにします。
なんと不安で、恐ろしい時間だったかと思います。
5回目のヒグマ襲撃(7/27朝)
翌朝、またもやヒグマが襲ってきました。
ここでリーダーは他の2名を逃がすため、ヒグマに対抗するべく残ります。
後日、リーダーの遺体が発見されました。
2名が下山
逃げた2名は無事に下山することが出来て、救助を要請しました。
捜索隊が結成され、ハンターの手によって、ヒグマは射殺されました。
はぐれた1名のその後
転落しはぐれてしまった1名は、その後、八ノ沢にある鳥取大のテントまでたどり着きます。
しかし、鳥取大はすでに下山したあとで、無人のテントでした。
そして、そのままヒグマに襲われて、彼もまた亡くなってしまいました。
彼は手帳にメモを残していて、それが事件の恐ろしさを伝えてくれます。
「下の様子は、全然わからなかった。クマの音が聞こえただけである。仕方ないから、今夜はここでしんぼうしようと…」
「15㎝くらいの石を鼻を目がけて投げる。当った。クマは後さがりする。腰をおろして、オレをにらんでいた。オレはもう食われてしまうと思って…一目散に、逃げることを決め逃げる」
「なぜかシュラフに入っていると、安心感がでてきて落ちついた。それからみんなのことを考えたが、こうなったからには仕方がない。風の音や草が、いやに気になって眠れない。鳥取大WVが無事報告して、救助隊がくることを、祈って寝る」
「外のことが、気になるが、恐ろしいので、8時までテントの中にいることにする」
「また、クマが出そうな予感がするので、またシュラフにもぐり込む。ああ、早く博多に帰りたい」
「5m上に、やはりクマがいた。とても出られないので、このままテントの中にいる」
「3:00頃まで…(判読不能)
他のメンバーは、もう下山したのか。鳥取大WVは連絡してくれたのか。
いつ、助けに来るのか。すべて、不安でおそろしい…
またガスが濃くなって……」
福岡大W部のメンバーまとめ
名前 | 学年 | 生死 | |
竹末一敏 | 3年生 | 2名の部員を逃がすために残る。遺体発見。 | 死亡 |
A | 3年生 | 生還し救助要請。 | 生還 |
興梠盛男 | 2年生 | テント内に手記を残す | 死亡 |
河原吉孝 | 1年生 | 第一の犠牲者。稜線下で襲われる。 | 死亡 |
B | 1年生 | Aさんとともに下山し救助要請。 | 生還 |
後の検証
彼らを襲ったヒグマは、3歳半のオスでした。
決して大きい個体というわけではなく、通常の大きさだったということです。
そして、解剖の結果、体内からは人間の体は発見できなかったと報告されています。
このヒグマは、あくまでも人間の食べ物が目的であって、人間を食べることは目的ではなかったのです。
「食べ物を得るのを邪魔する敵」
として見ていたのでしょう。
事故前に起きていた2つのヒグマ襲撃
北海学園大学パーティー
先にも書きましたが、この山域には、彼らだけがいたわけではありません。
同じく北海学園大学のパーティーもいて、彼らもヒグマに襲われる経験をしています。
彼らは襲われてすぐに異常に気づき、下山を決定しました。
これについては後ほど詳しく書きます。
室蘭の会社員が行方不明
これはあまり知られていないのですが、この事件の1ヶ月ほど前のことです。
単独で縦走していた男性(室蘭の会社員)が、カムエク付近で連絡を絶ち、行方不明になりました。
当時は天候もよく、滑落などの形跡も発見できませんでした。
そのため、あとになって、
「カムエクのヒグマに襲われたのでは?」
という見方が出たのでした。
明暗を分けた各大学の判断
この事件の結果を、福岡大以外のパーティーも含めて考えてみましょう。
この山域には、他にもいくつかの登山隊がいました。
そして、事件当時とった行動がはっきりと別れているのです。
北海学園大学、帯広畜産大学 | 即時撤退 | 道内団体 |
福岡大学、鳥取大学、中央鉄道学園 | 最終的に撤退 | 道外団体 |
北海学園大学パーティーは、通常は襲ってこないヒグマが近寄ってきたことで、
「これは異常なヒグマだ」
と察知し、即時撤退を決断しました。
逆に、何度か危機にさらされながら、最終的に現場に残っていたのは、福岡大学などの道外の団体でした。
なぜ福岡大は下山しなかったのか?(生存者報告書より)
福岡大W部の生還した2名は、報告書を作成しています。
それにより事件の様子がわかったのでした。
「どうしてすぐに下山しなかったのか?」
という質問にはこう答えています。
- 財布や貴重品が荷物の中に入っていて、捨てて帰るわけにはいかなかった
- 装備を失いたくなかった
- 縦走計画はまだ可能だと考えていた
からでした。
結果的に命に関わることになってしまったので、正しい判断だったとは言えません。
しかし、遠い地へ来ていて、財布やカードやスマホが入ったザックだったら・・・
誰でも迷いそうな悩みだと思います。
ヒグマ襲撃事件が起きた要因
このヒグマ襲撃事件が起きてしまった要因は何だったのでしょう?
人間の食べ物の味を知ってしまった
ヒグマは犠牲者を襲ったものの、食べてはいません。
あくまでも、人間が持っているザックの中にある食べ物を狙った行動なのです。
「人間を襲えば、あの美味しいごちそうが食べられる」
と覚えてしまったのです。
荷物を取り戻してしまった
ヒグマは、一度手にした獲物は、絶対にあきらめません。
一度ヒグマに取られたザックを、
「我々のザックを返せ!」
とばかりに頑張っても、それはもうヒグマの所有物なのです。
仮にですが、1回目の襲撃のあと、ザックの中から財布だけ取り出して、ザックは放置していたら・・・
結果は変わったのかもしれません。
音などの威嚇で敵になってしまった
ヒグマに対して、音で人間の存在を知らせることは大切です。
しかし、警戒しているヒグマに対して、音を鳴らして追い払おうとするのは、ヒグマにとって攻撃に映っているかもしれません。
人間は怖くて身を守っているつもりの行動ですが、ヒグマにとっては、
「人間が先制攻撃してきた」
ことになります。
人間はこの瞬間に、ヒグマの敵になったのでしょう。
背中を見せてしまった
ヒグマは、背中を向けて逃げる生き物を襲ってしまう習性があります。
昔、ヒグマの研究者が、登別クマ牧場のヒグマを対象に実験を行いました。
オリの中にマネキンを入れます。
マネキンがヒグマのほうを向いているときは、ヒグマはじっと見ています。
しかし、マネキンをひっくり返して背中を向けた途端、ヒグマはマネキンを襲って地面に押し倒してしまったのです。
あの野性味のかけらもない、クマ牧場のヒグマでさえ、本能的に襲ってしまうのです。
そして2019年にも
この記事は2019年に書いていますが、じつは、今現在、カムエクは入山規制が行われています。
7/11と7/29日、連続して登山者がヒグマに襲われたのです。
現場はカムエクの八ノ沢カールです。
現在のところ、ヒグマはまだ捕獲されていませんが「同じ個体では?」と考えられています。
私達登山者が学ぶべきこと「ヒグマが人を襲わないように」
長々と書いてきましたが、この事件で私が一番伝えたいことがあります。
福岡大学ワンダーフォーゲル部の部員の行動の問題?
違います。
- ヒグマから荷物を取り返した
- ヒグマを音で威嚇した
- すぐに下山しなかった
- 背中を見せて逃げてしまった
それは結果的に彼らの命を落とす結果につながってしまいました。
しかし、一番の問題は、この事件のヒグマは、
「最初に近づいてきた時点で、人を襲うヒグマだった」
ということではないでしょうか?
ヒグマの生態をよく知る登山者ならば、きっと思うでしょう。
「5人もいるテントに、最初の襲撃で近づいてきたこと自体がありえない」
ヒグマはその時、もう人間の荷物の味を知っていたのです。
事件の1ヶ月前に起きた室蘭単独登山者の行方不明事故。
その方が、このヒグマに襲われたかどうかはわかりません。
きっかけは、その人だったのでしょうか?
その前の誰かなのでしょうか?
いずれにしろ、このヒグマは「いつか、どこかで」誰かのゴミや荷物から、人間の食べ物の味を知ってしまったのです。
その結果、その原因を作った人が誰であれ、のちに福岡大W部の部員は危機に直面したのです。
ヒグマは決して、積極的に人を襲うような生き物ではありません。
そんなヒグマを、変貌させてしまうのは、私たち人間が「うっかり」与えてしまった食べ物(ゴミ、残留物)です。
2019年今現在、カムエクの山に住んでいる不幸なヒグマは、
「この1970年の事件と同じように生まれてしまった」
と思わずにはいられません。
山を安心して登るために、ヒグマが平穏に暮らすために、私達はいっそう気をつけなければいけません。