こんにちは、寝袋!です。
現在では、「登山者がテント場で仲間と歌を歌う」なんてシーンは、ほぼ観ることはなくなりました。
もし残っているとしたら、大学山岳部とかじゃないでしょうか。
山は仲間と登るものではなくて、個人で楽しむものになっていますからね。
テント場で1人で歌を歌っているような人がいたら、たぶん怒鳴られますし(笑)
ただ、歌は歌わなくても、詩そのものには、今でも変わらない思いを抱く人は多いのではないでしょうか。
私が好きな詩「もしかある日」を紹介します。
フランス人登山家ロジェ・デュプラさんの遺稿となった詩です。
登山家ロジェ・デュプラさんの遺稿「もしかある日」
もしかある日、
もしかある日、私が山で死んだら、
古い山友達のお前にだ、
この書置を残すのは。
おふくろに会いに行ってくれ。
そして言ってくれ、おれは幸せに死んだと。
おれはお母さんの側にいたから、
ちっとも苦しみはしなかったと。
親父に言ってくれ、おれは男だったと。
弟に言ってくれ、さあお前にバトンを渡すぞと。
女房に言ってくれ、おれがいなくても生きるようにと。
お前がいなくても、おれが生きたようにと。
息子たちへの伝言は、お前たちは「エタンソン」の岩場で、おれの爪の跡を見つけるだろうと。
そしておれの友、お前にはこうだ・・・
おれのピッケルを取り上げてくれ。
ピッケルが恥辱で死ぬようなことを、おれは望まぬ。
どこか美しいフェースへ、持って行ってくれ。
そしてピッケルのためだけの小さいケルンを作って、その上に差しこんでくれ。
この誌の背景
フランスの登山家、ロジェ・デュプラさんが残した詩です。
その後デュプラさんは遭難死してしまい、結果的に遺稿となってしまったのでした。
世界中の登山愛好家の間で有名な誌です。
たぶん「登山愛好家の間で」という条件では、世界一有名な詩じゃないでしょうか?
日本でもメロディーが付けられて「いつかある日」という題名で、山の歌として歌われていました。
昭和初期の生まれの登山愛好家さんたちは、
「夜、テント場で焚き火を囲んで歌う、定番の一つだった」
と聞きます。
歌詞は、上で書いた訳とはちょっと違います。
私は上で書いた詩のほうが好きなのですが、この詩との出会いは次のようなものでした。
この詩との出会い
私がこの詩と出会ったのは、井上靖さんの山岳小説「氷壁」の中でした。
ザイルで結ばれた登山家が滑落し、パートナーが死ぬというお話です。
生き残ったパートナーが、「自分が生き残るためにザイルを切ったのでは?」という疑惑をかけられて物語は進んでいきます。
ネタバレになりますので、内容は伏せておきます。
さて、登場人物で小坂という人物がいるのですが、私は嫌いな人物でした。
ところが、その小坂が「この詩が好き」だったのです。
そして書かれていた、この詩の全文!
私はグサリと心を刺された気分で、
この詩を好きというだけで、小坂という人物を好きになりかけた
くらいだったんですよ(笑)
「小坂だって、悪いやつじゃないんじゃないか?」
なんてね。
山に登っていて、死というのは恐怖の対象であって、決してロマンを語ってはいけないものです。
でも、どこかアルピニズムというか登山者精神のなかには、死を意識する部分があると思うんです。
この詩は、登山愛好家のそういう気持ちを、猛烈に刺激するんですよね。
私は正直言えばこう思っています。
「山で死にたくはないけど、死ぬのならば山で死にたい」
と。
登山愛好家のあなた、そういう想い、ありませんか?