こんにちは、寝袋!です。
山に関する私が好きな言葉を記事にしていますが、7回目にしてこの言葉をご紹介させてください。
「山に謙虚であれ」
これは、私の座右の銘にしているのですが、山登りに関してさまざまな場面で思い出します。
この言葉を心においておけば、山登りを「こじらせる」ことはないんじゃないかな?
目次
「山に謙虚であれ」ある山小屋主人から警備隊へ
私がこの言葉を知ったのは、富山県警山岳警備隊を取材したテレビ番組でした。
そこの警備隊の方が、救助に取り組む姿勢をある山小屋主人に指導された経験を話されていました。
そのとき使われていた言葉が2つありまして、
「山は怖いぞ」
「山の前では謙虚であれ」
という言葉でした。
私はその当時、それなりに登山経験を積んでいたつもりでしたが、心に響きました。
そして、
『山に謙虚であれ』
として、心に刻み込んだのでした。
その後、山には必ずしていく腕時計の裏面に、刻み込んだのはもう6年前になります。
私の恥ずかしい経験
恥ずかしながら、私の経験をお話します。
はじめて山に登ってから、少しずつレベルの高い山に興味を持ち、ステップアップしました。
これは登山者みんなが経験する「流れ」だと思います。
近所の山からアルプスへ。
低い山から高い山へ。
初心者向けから、難度の高い山へ。
ノーマルコースが終わればバリエーションへ。
だいたいそのあたりで、私は勘違いを始めました。
「自分ってかなり上級者じゃねえか?」
「さらに難しい山じゃないと行く意味ないよね!」
という具合に。
馬鹿ですねえ。
でも、そのうち気づいてしまったのです。
「あ、おれって全然すごくない。たくさんいるごく普通の登山者だな」
ってね。
実はその頃、別の登山ブログで山行記録のようなものを書いていました。
意識していないつもりでしたが、どこか「俺の山行を知ってくれ!」という気持ちがあったと思います。
書くこと自体も楽しみでしたが、私はそれ以来、一切の山行記録を書くことをやめました。
(どんどん多くなって書ききれなくなってきたという理由もあります)
登れば登るほど、知れば知るほど
山は、登れば登るほど、知れば知るほど、その外側のさらに広くて深い世界が見えてきます。
最初「点」だったものが、小さな「円」になります。
すると、その「円」に接する世界は「点」が接する世界より桁違いに広いです。
自分が果たしてどのくらいの「円」なのか、それはわかりません。
ただ、「自分が知らない広大な世界があるな」ということだけはわかってきたのです。
それは、山の難易度の話だけじゃなくて、山という自然が持っているいろいろな要素全てです。
「このくらいの山なら」
「これくらいの天気なら」
「自分なら」
そういう気持ちが危ないと思っています。
どんな山でも同じ気持ちで。
そういう気持ちを忘れないように、
『山に謙虚であれ』
と思っています。
何度も登っている山だって
また、安全面だけじゃなくて、山の楽しみにも通じる言葉だと思っています。
「もう何度も登っている山だから・・・」
と山を見下したような気持ちでは、新しい花や木には気付けないでしょう。
今までないと思っていた花が、こっそり咲いている岩陰があるかもしれません。
思いがけない、新しい角度の景色を発見するかもしれません。
せっかく山へいくんですから、いつもフレッシュな目で山と向き合いたいものです。
その意味でも『山に謙虚であれ』です。
オードリー・ヘップバーンさんの名言
昔の女優さんオードリー・ヘップバーンさんが、
『いばる人って、つまりはまだ一流でないってことよ』
という言葉を残されたそうです。
なるほど、いばる人ってきっと、「狭い世界しか知らないんだろうな」って思います。
周りに自分よりすごい人がいなかっただけということ。
山に対して謙虚な心は、自分のため
『山に謙虚であれ』
私はこの言葉と出会えてよかったと思っています。
山に謙虚な気持ちをもつことは、安全面でも大切なだけじゃなく、何より、
いつでも、どんな山でも楽しめる
からです。
結局、自分自身のためになるんですよね。
↓登山にはオススメしない私の機械式時計。裏面のレリーフのことも書いています。