こんにちは、寝袋!です。
「困っている人を助けなさい」
と言われて育てられ、正しいと信じて生きてきました。
それなのに、こんな悲しい思いをすることになろうとは、思いませんでした。
下山途中に膝が壊れて歩けない女性登山者を、全力で助けました。
ロープを使い、背負って下山し、疲労困憊で登山口に帰り着いたのです。
それなのに、その人から浴びせられたのは、怒りの言葉でした。
快晴の登頂
北海道の利尻岳を登ったときのことでした。
その日は快晴で、山頂からは、宗谷岬や礼文島がはっきりと見えました。
期待以上の絶景に、感動したのは覚えています。
景色を堪能し、お弁当を食べて、ゆっくりと下山を開始しました。
私が下山開始した時、山頂には残り10人くらいが残っていたと思います。
![](https://nebukurou.com/wp-content/uploads/2019/03/20040904-03-登山.jpg)
下山途中に遭遇
7合目ぐらいまで降りてきた時、前方に、ヨチヨチと歩く女性登山者が見えました。
どうやら、膝が痛いような歩き方です。
しばらく様子を見ていましたが、一歩一歩踏み降ろすのも辛そうでした。
「大丈夫ですか?」
と声を掛けると、
「登りの最後のあたりから膝が痛くて、下山になってひどくなってきたんです」
とのことでした。
「もしよろしければ、私があなたのザックも背負いますが・・・?」
と申し出ると、
「ありがとうございます。お願いしていいですか?」
と了承されました。
そこで、私が2人分のザックを背負い、横について歩いていくことになりました。
といっても、日帰りザックですし、それほど重いわけでもありませんでした。
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当時の状況
ここで少し、当時の状況を書きます。
当時は、携帯電話は一部の人しか持っていなくて、私もありませんでした。
利尻岳の登山口には、公衆電話があって、そこからタクシーを呼ぶのが一般的でした。
前夜泊したペンション ヘラさんの家は、登山口までの送迎をしてくれます。
「電話してくれれば、迎えに行くから」
と言われていました。
どんどん落ちていくペース
時間はまだお昼を少しすぎたばかりで、余裕がありました。
後ろからどんどん抜かれて、
「あ、もう最後尾になってしまったかな?」
と考えながら、歩いていたように思います。
あまり遅くなると、宿で待っている相方や、宿の人に心配を掛けてしまいます。
時間とペースと様子を見ながら、いろいろ選択肢を考えていました。
女性の歩くペースは、そのあとも、どんどん遅くなりました。
このままではマズイと思った私は、彼女にこう提案しました。
「このままでは日が暮れてしまい、危ないです。
私が一度登山口まで走って、ザックを置き、相方に連絡の電話をしてから、戻ってきます。
それから、私が背負って下ろしてあげます。どうですか?」
はじめは、
「暗くなっても、いつかは下山出来るから・・・」
と言っていた彼女ですが、やや薄暗くなり始めた空の様子に、不安になったようでした。
「それでは、ゆっくりでいいですから、下山を続けていてください」
と言い残し、私はザックを2つ背負って走り出しました。
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まずは登山口まで疾走
少し走ると、最後に私たちを追い抜いていった男性Aさんがいました。
事情を説明すると力になってくれそうだったので、
「出来れば、一緒に歩いてやってくれませんか?」
とお願いしました。
急ぐ気持ちを抑えながら、気をつけながら走って、登山口にたどり着きました。
そこで、まずは宿に連絡を入れました。
「こういう事情で遅くはなりますが、危険はないので下山したら連絡する」
ということを伝えました。
宿で待っている相方への伝言もお願いしました。
周囲を見渡して、ザックを置ける場所を探しました。
この島はクマがいないので、荷物を放置してもその点は安心です。
ザック2つを、公衆電話の横に並べて置きました。
ザックからロープだけ取り出し、また上へ向かって走り始めました。
空身なのと、テンション上がっているためか、案外ラクに走れたように思います。
登山者の元へ
時間は、どれだけかかったかわかりません。
おそらく4合目付近だったと思いますが、ようやく前方に、女性と、付き添いしてくれた男性Aさんが見えてきました。
登山者を背負う
ロープで背負子のようなものを作り、女性を背負いました。
ロープで背負子を作れないと、けっこう苦労します。
一度練習してみてください。
その時はじめて、足がガクガクになっているのを感じました。
うっ、きつい。
Aさんには、万が一の場合の補助に入ってもらって、コケないように3人で歩いていきました。
無事、下山
それから、どのくらい時間がかかったでしょう?
真っ暗になる前に、無事に登山口に到着しました。
女性は、私とAさんにお礼を言いました。
まあ、無事に下山できて何よりです。
私もAさんと、お互いの健闘をたたえあいました。
「あ、そうだ。ザックを取ってこよう!」
私は、公衆電話の横に置いてあったザックを、2つ取ってきて、女性に渡しました。
すると・・・
怒りの言葉
「ちょっと! もしかして、ザックをそこに置いてたんですか?」
え? そうですけど?
「そのザックには、私の財布とか免許証とか、いろいろなものが全部入ってるんですよ!」
まあ、そうでしょうね。私も同じですけど?
「もし盗まれてたら、どうするんですか!」
はあ?
「ここは登山口ですよ? 山登りをする人が、そんなことしませんよ」
私はめんくらいながら、反論しました。
私のそんな考えは甘いかもしれませんが、そもそも大丈夫だったんだし・・・。
だいたい、それなら先にザックから出して持っておけばいいし、いったい登山口のどこに置いてあれば、彼女は安心だったのだろう?
ロッカーでもあると思ってたのかこのやろう。
女性は怒りを感じているようでしたが、助けてもらったこともあって、それ以上は言ってきませんでした。
女性がタクシーで帰ってから、私も宿のお迎えで帰りました。
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よかったこと
「無事に下山できてよかった」という思いと、「自分はやりきった」という達成感がありました。
夕食のウニを突っつきながら、相方に出来事を話しました。
それから数日は、足全体が筋肉痛で、まともに歩けませんでした。
痛みを感じるたびに、達成感と苦々しい思いが入り交ざっていたと思います。
私がやったことは、間違っていなかったと思うのですが・・・。
まあ、この一件はいいこともありました。
それから、一緒に頑張ってくれたAさんとは、連絡を取り合うようになったのです。
Aさんは本州の人でしたが、どこかの山に登るたびに、写真などを送って報告しあっています。
あの女性のおかげで、いい人と知り合うことが出来ました。
あの女性のことは思い出したくもありませんが、Aさんと知り合えたことで、救われたのでした。