こんにちは、寝袋!です。
先日、山陽地方のある山岳会の人と、話す機会がありました。
その方は、山岳会の仲間を、伯耆大山(ほうきだいせん)の北壁で亡くされた経験をお持ちでした。
当時の現場の状況など、詳しく聞くことができました。
また、その方の奥様の立場でのお話もうかがえました。
そこには、私の想像とは違う、
「きれいごとではないリアルな感情」
が渦巻いていて驚きました。
遺体捜索の現場と、捜索隊の家族の視点を通じて、
山岳遭難事故&遺体捜索の現実
を、みなさんにもお伝えしたいと思います。
みなさんは、どう感じるでしょうか?
目次
伯耆大山とは?
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大山(だいせん)は標高1,729mで鳥取県最高峰の山です。
同時に、中国地方最高峰でもあります。
穏やかな尾根沿いの一般登山道とは対象的に、鋭く切れ落ちた壁を形成していて、アルパインクライミングの対象となっています。
とくに、中国地方では有数のクライミングスポットです。
昔の伯耆国(ほうきのくに)に位置することから、伯耆大山(ほうきだいせん)とも呼ばれます。
年末年始に3名の滑落事故発生
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ある年末年始の休みを利用して、3名の登山者がこの伯耆大山の北壁に挑みました。
ところが、3名は滑落事故を起こしてしまい、行方不明になってしまいます。
3名の所属する山陽地方の山岳会(以下、H山岳会とします)は、仲間を救うべく捜索に乗り出します。
Aさん(私が体験談を聞いた相手)も、その一員として参加することになりました。
これが、今回私が聞いた体験談の舞台になります。
山岳会が捜索に出動
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ゾンデ棒捜索の練習(写真引用:朝日新聞デジタル2018年2月24日より)
お正月休み返上
年末年始のお休みですから、山岳会のメンバーも、帰省している者や他の山へ登っている者など、様々でした。
「伯耆大山北壁で3名遭難」
の連絡は各地へ飛び、山岳会員は現場へ集結することになりました。
「山の仲間になにかあれば、個人的な事情は後回しだからね」
ということです。
会社が始まっても捜索続行
山岳会員たちは、雪深い伯耆大山の麓に泊まり込んで、連日の捜索に乗り出しました。
「北壁」と言っても、ピンポイントで場所がわかるわけでもなく、
「今日はこちら、明日はこちら」
と、少しずつ捜索範囲を塗りつぶしていくそうです。
捜索は10日を過ぎ、正月休みが終わって会社が始まっても、続けられました。
山岳会員たちは、会社や家族と連絡を取りながら、必死に捜索を続けたそうです。
「もう生還は望めない」
と、みんなわかっていました。
しかし、それならそれで、
「なんとか遺体を発見して、家族の元へ返してやらなければ」
という一心で、捜索に乗り出していったのでした。
ただ待つご家族
頑張っていたのは、捜索にのぞむ山岳会員たちだけではありません。
捜索に当たる山岳会員のご家族も、正月の予定が白紙になり、
「いったい、いつになれば帰ってくるのやら」
と、ただただ待つことしか出来なかったのです。
遺体発見!
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ゾンデ棒捜索の自衛隊の訓練(写真引用)
しかし、さすがに捜索隊にも限界が迫り、
「今日を最後に、一度捜索を打ち切ろう」
と指示が出た、その日のことでした。
北壁の麓で、雪面に座り込み、昼ごはんを食べていた時でした。
会員の一人が、何気なく雪面にゾンデ棒(雪の中を探る細長い棒)を突き刺すと、何やら触るものがあります。
「まさか!?」
と思って、雪を掘ってみると、なんとそこから3名が見つかったのです。
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3人はロープでつながったままでした。
なんらかの原因で1名が滑落し、それに繋がったまま3名とも落下したようです。
捜索最終日に、壁付近でじゃなく、まさか昼ごはんを食べていたその横に遺体が埋まっているとは、思いもしませんでした。
みんな目を丸くして驚いたそうです。
捜索隊の心境
さて、この時の山岳会員たちの心境はどうだったのでしょう?
Aさんによると、
「仲間を見つけたい気持ちには変わりはないけど、捜索が長くなるにつれ、仲間のためじゃなく自分のためになっていた。
『早く見つけて、家へ帰り、会社へ行かなければ』と焦っていましたよ」
とのことでした。
「緊張感は薄れてきますし、だんだん仲間に対するイライラに変わっていくんです」
発見されたときは、
「これで帰れる!」
という喜びのほうが、大きかったそうです。
捜索隊家族の心境
Aさんの奥さんは、捜索開始のときは、
「これは山の仲間のためなんだから、仕方がない」
とあきらめていたそうです。
しかし、お正月がすべてつぶれ、会社とAさんとの連絡(当時は携帯電話なんてない)のために疲れてしまったとのこと。
「正直言えば、遭難した人のことなんてどうでもよくて、怒りのやり場がなかった」
と、当時を思い出して笑っていらっしゃいました。
やっぱり山で死んだらダメだ!
捜索にあたった山岳会員のうち、全員がこういう感想を持っていたかはわかりません。
ただ、Aさんが話してくれたことは、とても率直で素直な感想だったように思うのです。
「当時はとても口には出せない」
とおっしゃるのですから、そのときは黙々と捜索を頑張っておられたようです。
捜索隊全体の雰囲気も、きっと同じだったのではないでしょうか?
口には出せないけれど、思いはひとつ。
これが現実なんです。
何度も一緒に山へ登ったり、酒を酌み交わしたりした仲間でも、
遭難してしまえば、ただの迷惑
になりかねないのです。
昔はまだその程度で済みました。
現代では、ニュースで山岳遭難の事故が流れるたびに、
「未熟者、愚か者、無計画、素人・・・」
などという、分析という名の誹謗中傷が乱れ飛びます。
挙句の果てに、
「自殺願望? 精神がおかしい?」
などという憶測まで出てくるのが現実です。
死んだ本人がおとしめられ、ご家族や関係者までがさらしものになってしまいます。
Aさんの時代以上に、遭難事故は残酷な結果を残します。
私たち登山者は、遭難防止のテクニカルな部分に目を向けがちですが、家族の命運もかかっていることを自覚するべきです。
Aさんの赤裸々な体験談が、少しでも遭難防止に繋がればと思います。
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雪山三種の神器、あなたは持っていますか?
- 居場所を示す(探す)ビーコン
- 探し当てるゾンデ棒(プローブ)
- 掘り出すスコップ
です。