こんにちは、寝袋!です。
遭難しないためには、何が必要だと思いますか?
体力? 知識? 判断力?
もしくは、
地図? GPS?
どれも必要です。必要でないものはありません。
でも、それらをぜんぶ備えていると思われる人でも、なぜか遭難してしまうのです。
私は、いろいろな遭難の事故を検証して、私なりに1つの答えを見つけました。
そして最後に、道迷いをしたときにまず最初に行うべき
私のとっておきの方法
をお教えしましょう。
目次
遭難のほとんどは道迷いから
遭難は、最終的に滑落や転倒などに繋がりますが、おおもとの原因は道迷いがほとんどです。
道に迷って自分の居場所がわからなくなってしまい、右往左往しているうちに、滑落などを引き起こしてしまうのです。
道迷いの経験ありますか?
あなたは、道迷いの経験ありますか?
本格的に迷わなくても、
「ちょっとだけ道をそれてしまったけど、すぐに気づいた」
「少し歩きまわって、たまたま元の道に戻れた」
「雪渓に出て、自信はなかったけど進んでみたら、踏み跡を見つけた」
など、ヒヤリとしたことは、きっと誰でもあるのではないでしょうか?
私も何度かあります。
あの、背中がゾクリとする、スーッと血の気が引く感じ、嫌なものです。
混乱・焦り
私は幸運にも、本格的な道迷いをしたことはありません。
私の道迷いヒヤリ経験はあとで書くとして、
「あれ? もしかして道を見失った?」
となったとき、人間は、とても焦ります。
ほんの1分、ほんの10m前まで、はっきりとした道だったのだから、戻れば済むだけの話なのに、
「本当の登山道が、今もどんどん自分から離れていくような」
恐怖に捕らわれるのです。
「早く戻らなければ!」
と、まるで砂浜から波でさらわれている人のように感じてしまいます。
冷静ではないのです。混乱していると言っていいでしょう。
正常バイアス
しかも、そういう時に登山者の心に芽生えるのが、
『正常バイアス』
というものです。これは、
「道に迷った? でも、かすかに踏み跡あるよなあ?」
とか、
「間違えるはずはない。そんな場所はなかった」
とか、ひどくなると、
「こっちに行っても帰れそうだな。むしろ近道じゃないか?」
などと、まるで自分の判断を後押しするように考えてしまう作用です。
あぶないですよね。
誰だって知ってるのに
「迷ったら、もと来た方へ引き返すこと」
「決して谷に降りるな。尾根へ登れ」
登山する人なら、誰でも知っている教訓です。
では、遭難した人は、そんなこともしらないアホなんでしょうか?
いいえ、違います。
みんな、当たり前のように知っていることなのです。
では、どうして、その当たり前ができないのでしょう?
私≠いつもの私
焦っている私。
恐怖に囚われて、混乱している私。
正常バイアスが働いて、判断している私。
もう、その時の私は、いつもの私ではないのです。
知識があり、経験があり、常識を知っているあなたは、どこかへ消えていると思ってください。
『あの人なら大丈夫』が仲間を殺す
同じことは、仲間にも言えます。
例えばなんらかの原因で1人が遅れ、姿が見えないとしましょう。
少し待っても来ません。
心配になって、他のメンバーをここで待機させ、リーダーが戻ってみました。
しかし、確実に一緒に居たところまで戻っても、姿がありません。
こういう時に、下しがちな判断が、
「あの人なら迷うはずがない。きっと引き返して下山したに違いない」
パーティーで最後方を歩くくらいですから、おそらくパーティー内では経験豊かな人なのでしょう。
「あの人ほど経験を積んでいるのだから・・・」
と、考えてしまいます。
じつは、ここで間違ってはいけないのが、
あの人≠いつものあの人
ということなのです。
「経験豊かで冷静なあの人」は、もうどこにもいないのです。
私の苦い経験①尾根を間違う
単独で、ある山を登り、下山するときでした。
北海道日高山脈の晩秋ですから、人は少なく、他には誰も入山していない日でした。
尾根に沿って忠実に降りるだけだったのに、(分岐した)支尾根に入り込んでしまったのです。
支尾根といっても、とても大きな尾根ですし、森林限界も超えていて見晴らしも効きました。
なのに、なぜか、フラフラとそちらに入ってしまったのです。
疲れがあったのだろうと思います。
「あれ? こんな歩きにくい岩尾根だったかな?」
と思いながら、なかなか間違いに気づきませんでした。
「いや、間違えたなこれは」
と思いながらも、前方の岩の上に、消えかけの黄色いマーキングのようなものがあるのです。
「あ、やっぱりこっちか!」
とさらに進みました。
そこまで進むと、黄色いマーキングは見当たりません。
「あれ?」
と思っていると、また少し先の岩の上に、黄色いマーキングがあるではないですか。
今度はじっとそのマーキングから目を離さず、近づいていきました。
なんと、その黄色いマーキングは、ただの黄色っぽい苔でした。
よく考えると、こんなマイナーな山に、黄色いペンキマークなどあるわけがないのです。
往復30分、たっぷりと間違い続けましたが、ルートははっきりしていたので、戻ることができました。
戻ってみれば、
「なんでこんなところ間違ったんだ?」
という感じでした。
また、黄色いペンキじゃないことも、よく見ればわかりそうなものでした。
私の苦い経験②
こちらは、北海道の低山での出来事です。
初心者がたくさん入る山で、私もリラックスして歩いていました。
すると、突然、河原の開けた場所に出たのです。
今まで子供でもわかるような登山道だったのに、突然まったくルートがわからなくなったのでした。
「あれ?」
と思って探し回っていると、踏み跡を見つけました。
間違いなく踏み跡です。
地図で確認することもなく、そちらへ進みました。
GPSも地図も持っていたのに、確認することもしませんでした。
5分ほど進み、なんだか道が下りはじめて、いよいよ間違いっぽいことに気づきました。
「これは、廃道だ。踏み跡は、山菜採りか何かの人だな」
と、元に戻ることにしました。
戻ると、さっきは見えなかった登山道が、バッチリ見えました。
大勢の人が迷うことなく進んでいて、突然横の方から現れた私を見て、
「あら、どちらのルートから?」
と聞かれました。
こんな初心者向けの山で道に迷っていたと言えず、ただただ恥ずかしかったです。
ある上級者パーティーの遭難記録
北陸ではかなり有名な、上級者パーティーがいらっしゃいます。
私もブログなどで記録を時々読ませていただいています。
それが、先日、厳冬期の白山で、遭難救助要請を伴う事故を起こされました。
全員が、素晴らしい経験値と、実績と、体力を備えた強いパーティーですが、それでも、こういうことが起きてしまったのです。
遭難者本人側の視点、仲間の視点で書かれていますので、大変勉強になります。
「これほどの人たちでも、冷静ではいられないのか」
と思います。
ぜひ読んでみてください。
「他の方々の教訓になれば・・・」とあえて記録を公開されていますので、私もリンクで紹介させていただきます。
心を鍛える
私の恥ずかしい経験でも、焦り、混乱、思い込みが、私を支配しているのがわかると思います。
目に見えるものを、
「あ、やっぱり正解だ!」
と思い込んでしまう、正常バイアスが働いていることもわかります。
「たまたま」気付けたから、今私はこうして生きているだけです。
私が経験も積んでいない時代のことでしたが、今でもそうならないとは断言できません。
多少は経験も積んで、マシになっているとは思うのですが。
経験を積む方法
さて、何回かそういう経験をして、危ない目にあい、運良く生還できれば幸運です。
それは貴重な経験として、その後生きてくるからです。
私も、2回の道迷い経験が、生きていると思っています。
しかし、その初めての経験が、案外事故に直結してしまう場合も多いのです。
運良く助かって経験になるか、不運にもその1回が命取りになるか、それはわからないのです。
あの、ゾワゾワする嫌な感覚。
冷静さを欠いていると、気づかない感覚。
それらを実際に経験せずに、疑似体験することができるのが、
遭難についての経験談
です。
ネットでも本でも、そういう経験談は、読みまくったほうがいいですよ。
「バカだなこいつ、そんなことするか普通?」
と思ってもいいです。でも、こうも思ってください。
「やっちゃうのが、遭難者ってやつなんだろうな」
「俺でもやっちゃうのかな?」
とね。
遭難シリーズの本
山と渓谷社から出ている、山岳遭難シリーズは、とてもいいですよ。
私も昔、全巻読みました。
羽根田治さんが、実際の遭難事故の経験者(生還者)を取材して欠いているドキュメントです。
それこそ、
「アホっ、そんなことやめろ!」
と言いたくなるような、信じられない経験がたくさん書いてあります。
「何mあるかわからないけど、飛び降りれば足の骨折ぐらいですむかな? 」
と、下が見えない滝へ飛び降りるなんて、できますか? それをやるのが遭難者なんですね。
また、道に迷うまでの経緯も詳しいので、
「ああ、こうやって迷うのか。ありそうありそう」
と思えます。
遭難を疑似体験して、いつかくるその時に備えて、心を鍛えておいてください。
羽根田さんのシリーズではありませんが、これも面白くてためになります。
私の秘密の方法
疑似体験をして、自分の心を鍛え、いざというときに間違った判断をしないようにすることは大切です。
しかし、どれだけ経験を積んでも間違ってしまうのに、疑似体験を積むだけで
「問題なし! 道迷い、いつでも来い!」
などと思うのは、大間違いでしょう。
それでも間違った判断をしてしまうのが、人間なのです。
そこで、私が個人的に、
「冷静な判断をするための儀式」
と思っていることをお教えしましょう。
それは、
ザックを下ろすこと
です。
「はあ?」
と思ったあなた、一応最後まで聴いてください。
道に迷った時、ついつい焦って、
「考えなくては! 動かなくては!」
という思考に捕らわれます。これは、絶対と思ってください。
そこで、判断を下す前に、まずはザックを肩から下ろしましょう。
ザックを下ろせば、すぐには歩き出せなくなりますし、ザックのサイドポケットにある水筒も目に入ります。
水を飲んでもいいですし、行動食を食べてもいいでしょう。
「あ、これ持ってるんだった!」
と、地図やGPSのことを思い出す、きっかけになるかもしれません。
とにかく、ザックを下ろすことは、一瞬、あなたを動けない状況にすることができます。
それが、とても落ち着くのです。
落ち着いてしまえば、
経験を積んだいつものあなたなら、
きっと正しい判断ができます。
『道に迷ったら、ザックを下ろす』
ぜひ、覚えておいてください。