こんにちは、寝袋!です。
サバイバル登山家、服部文祥を知っていますか?
彼は、最低限の装備と米だけを持って山に分け入り、魚を釣り、山菜を採り、獣を撃って食料を得るスタイルです。
登山道も使わず、山頂が目的でもなく、ただ何日も山の中で過ごすことを目的とする登山です。
そんな登山をする服部文祥とは、どんな人物なのでしょう?
彼がどうしてサバイバル登山をするようになったか?
現在の彼は?
いくつかのサバイバル山行、滑落事故を通じて、彼の意外(?)に哲学的なところも交えながら紹介します。
好きになるか嫌いになるか、評価が大きく分かれる登山家です。
目次
サバイバル登山とは?
「サバイバル登山家」と自分を称する服部文祥。
そもそも、サバイバル登山とはどういうことを言うのでしょうか?
この言葉自体、服部文祥が生み出した言葉なのですが、
- 必要最低限の装備と食料を持って山に入り
- 現地で食料を入手しながら
- 登山道ではないヤブや沢を歩いて山を巡る
というものです。
「必要最低限って、どのくらいのこと?」
と思われるでしょうが、彼の場合は、かなりの最低限です。
- 電池を利用するものは使わない
- テントもなし、雨除けのタープのみ
- 燃料はなし
- 食料は米と調味料のみ
といった感じです。
現地での食糧調達は、イワナ、カエル、ヘビ、山菜、そして猟銃で捕る動物です。
獲物がなければ、米を炊いて食べるのみ。
これが、サバイバル登山です。
私がサバイバル登山で一番すごいと思うのは、
「電気がない=夜は焚き火以外真っ暗」
ということです。
テントもなく自然に体をさらして、焚き火だけで過ごすことは、かなり怖そう。
もし雨が降って焚き火が消えたら・・・と考えてしまいます。
服部文祥の人柄
彼の人柄を紹介します。
エネルギッシュ
サバイバル登山を知ると、彼がどんな人物なのか、想像付くとは思いますが・・・。
本や映像から伝わってくる彼は、とにかく豪快で活動的です。
一言でいえば、エネルギーに満ちあふれています。
獲物を見つけたときの目、狩猟に成功したときの喜び方は、ギラついていると同時に、素直だと感じます。
私達が日常生活では忘れてしまった、ありのままの感情表現をします。
歯に衣着せぬ発言
この人をテレビ番組で観るとき、相手が誰でもあまり様子が変わらない印象を受けます。
思ったことは遠慮せず言うといいますか。
故栗城史多のことも痛烈に批判(存命中に)していました。
ほとんどの登山家たちが、軽くスルーしていたのに、彼は言わずにはいられなかったのでしょう。
まあ、誰もが思っている(た)ことなのですがね。
じつは哲学的
反面、というか、もしかすると同じことなのかもしれませんが、彼は案外哲学的です。
獲物を捕って命の奪う人間だからこそ、命を奪うことについて深く考えています。
渓流で、主とも言えるような大きなイワナを獲ったとき、
「ずっと長くここにいるであろうこいつを、オレが命を奪ってよいのだろうか?」
と自問します。
よく目にすると思うのですが、
「命を奪うことの是非」
などという、きれいごとのレベルではありません。
「こんな大物の生命、オレなんかが奪って食べていいのだろうか?」
というような、命と命を比べるような自問です。
あとで詳しく書きますが、彼の書く文章からは、深いものが伝わって来ます。
服部文祥の過去の山行について
彼は、最初からサバイバル登山を目指したわけではありません。
大学の山岳部を通じて、ごく普通の登山愛好家として経歴を重ねていました。
K2サミッター
大学生の時、彼はK2を登る登山隊に参加します。
団体行動が苦手で、とくに隊長とは気が合わなかったようです。
いわゆる大人の対応というものが出来ず、面と向かって対立し喧嘩を繰り返します。
結果的に幸運にも彼ら登山隊は成功を収めて、K2を登頂します。
そんなゴタゴタを抱えながら、K2登頂を果たしてしまうその登山隊も、なかなかおもしろいですね。
K2がもたらした変化
隊長が彼に捨て台詞のように残した言葉がありました。
「善きにしろ悪しきにしろ、ともかくこれで、お前の人生にK2サミッターという言葉がついてまわる」
彼はある意味この言葉に目覚めたと言ってもいいでしょう。
著書のなかで、
「みえっぱりで世間体にも弱かった。卑屈な精神は社会的な評価も気にしていた」
と自身語っています。
縦走よりも沢、沢よりも岩。
日本よりヨーロッパ、ヨーロッパよりもヒマラヤ。
といった登山界のヒエラルキーから、『K2サミッター』という称号が脱却させてくれたのです。
「あいつ、サバイバルとかやってるけど、ヒマラヤとか登れないからやってるんだろ?」
という世間の目を、一見豪快な彼が気にするのが意外で面白いです。
彼は、K2に登ったことで、思う存分好きなことをやれるようになった(と自分自身が感じた)のです。
山野井泰史との関係
ここで、意外な人間関係について紹介します。
私感ですが「登山家としてもっとも対極に位置するイメージ」の山野井泰史との関係です。
服部文祥が世に出るきっかけになった著書『サバイバル登山家』の、序文を書いているのが山野井氏なのです。
これはほんとうに意外です。
ですが、まあ、とくに仲が良いというわけではなく、
「服部くんの著書がポッと出ても、変態の話と思われちゃうかもしれないから」
という気持ちから、序文を了解したようです。
山野井さんらしい、優しさ?
かつて世界最強と呼ばれ、今でも日本の登山家人気ナンバー1を誇る魅力的な登山家です。
詳しくはこちらをどうぞ。
日高山脈縦走のころ
サバイバル登山の駆け出しのころ、彼は北海道日高山脈の縦走をしました。
まだ完全なサバイバル登山のスタイルが固まる前で、ラジオや時計などの電化製品も持参していました。
山中で出会ったグループにパンを貰ったり、
「学生グループと同じテント場になれば、食料恵んでもらえるかな?」
と目論んだり、なかなか愉快です。
そういうことを素直に書くのも、彼の良さの1つかもしれません。
わたしは好きです。
情熱大陸について
著書『サバイバル登山家』で多少知られたとはいえ、まだまだ彼はマイナーな存在でした。
しかし、テレビ番組『情熱大陸』で彼のことが放送されてから、かなり知られることになりました。
2010年のことです。
番組ではまず冬の山行にでかけ、その後夏の山行にでかけ、2つをまとめたものが放送されました。
最初テレビ局から同行取材を依頼されたとき、彼は即答で断ったそうです。
「素人がついてくることは不可能だし、人数がいると獲物が逃げて成立しない」
という理由でした。
それでも食い下がるテレビ局に、
「もし平出(和也)くんがカメラマンとして同行するなら、可能かもしれない」
と条件を出し、平出和也が了承し、番組が実現しました。
すでにカメット登頂を果たし、1回目のピオレドール賞(登山のノーベル賞のようなもの)を受賞していました。
山岳カメラマンとしても有名でしたが、服部文祥の登山に多少は興味があったようです。
彼が撮影したからこそ、この番組は成功したと言えるでしょう。
また、番組中に服部文祥が滑落事故を起こすのですが、彼がレスキューすることになります。
情熱大陸の山行【冬編】あれが最後の一発だった
2010年2月、彼らは冬の山行を行います。
冬でイワナも山菜もカエルも期待できないので、獲物はシカなどの獣になります。
服部文祥は、なかなか獲物を仕留めることが出来ません。
毎日毎日、米を炊いて食べるだけという、寂しい食事が続きました。
ところで、取材に同行した平出和也も、付き合って米しか食べていなかったそうです。
テントなどの装備はどうだったのでしょう?
服部文祥の山行を理解するために、あえて持っていなかった可能性が高いなと、私は思っています。
番組では語られていませんが、実は一度弾切れになってしまいました。
「これじゃ番組では使えないね・・・」
と2人であきらめていたのですが、途中で弾を一発落としたことを思い出し、それを探しに帰りました。
そして、運良く見つかり、ラスト一発に掛けることになったのです。
番組でシカを仕留めて歓喜するシーンがありますが、それは、この一発によって生まれた奇跡のようなものでした。
服部文祥はもちろん、平出和也も腹ペコでしたから、2人でシカをたらふく食べたそうです。
番組では、生でシカの心臓を食べるシーンもありました。
そして、番組は後半、夏編に移っていきます。
情熱大陸の山行【夏編】滑落事故
「夏はたらふくイワナをご馳走するからね」
と、服部文祥は平出和也に約束していたそうです。
実際、イワナやカエル、キノコなど、夏は食材豊富な様子でした。
しかし、ここで大事件が起きてしまいます。
滝の上をトラバース中に、なんと服部文祥が滑落して滝壺に落ちてしまうのです。
彼いわく、
「ギリギリ限界の難しいところではなくて、予想外のところで落ちた」
と語っています。
どのレベルでも、事故というのはそんなものなのですね。
平出和也はロープを使って彼のもとに降りてきて、助けます。
服部文祥は、のちに、
- 外傷性肺血気胸(肺に血がたまる)
- 肋骨の複雑骨折
- 側頭部裂傷
と診断されました。
平出和也のレスキュー活動により、動けない彼の荷物も背負い、なんとか登山道まで出ることができました。
すぐそばには山小屋があり、行けばすぐにヘリで救出されます。
もしヘリで救出されれば遭難事故となるので、テレビ番組はお流れになるでしょう。
なんとか歩ける状態でしたから、彼は、
「(迷惑かけるけど)、小屋じゃなく、自力で下山していいか?」
と聞き、平出和也は了承します。
番組では、登山口に着いた後、
「ありがとう、助かった」
と、涙ながらに声を絞り出す服部の姿が放送されて終わります。
著書で彼は、
「もし平出和也が同行していなかったら、オレはあのまま死んでいた」
と語っています。
当時、番組を見ていた私は衝撃を受けました。
「なんてすごい番組だったんだ・・・」
平出和也との関係
その後、平出和也との関係はわかりません。
ただ、滑落後、
「アルパインクライミングやめてから、落ちちゃった」
と自嘲気味に話した服部文祥に、平出和也は、
「服部さんの登山のリスクが低いとは思いません」
と答えました。
山行に同行取材したことで、お互いを理解したことはうかがえます。
ツンドラへの旅
本やテレビなどのメディアへの露出が増えた服部文祥。
そのなかで、ロシアシベリアへの旅の番組があります。
エル・ギギトギンという、世間とは隔絶された湖だけに住むイワナを釣るために、サバイバルをする番組でした。
途中、ミーシャという放浪民と出会い、一緒に湖を目指しました。
このミーシャが、とても魅力的です。
普段現代的な生活を送りながら、サバイバル的な世界を求めて山に入っていく者。
日常生活がサバイバルな者。
2人は大きく違うし、似ているところもあります。
そして、言葉は通じないけど、自然と心は通っているのです。
DVD化されればいいなと思っているのですが、残念ながらされていないようです。
著書『ツンドラサバイバル』に詳しく書いてあるので、オススメですよ。
凍る湖の上で、釣りをするのですが、目的のスモールマウスチャーというイワナはなかなか釣れません。
仕方なくボガンド・レイクチャーという魚の腹を開くと、なんとその腹の中から、消化されるまえのスモールマウスチャーが出てくるという、奇跡がクライマックスでした。
服部文祥の文章
彼は、文章による表現を売って生きていきたいと語っています。
じっさい、彼の文章はとても魅力的に感じます。
私が気に入っている言葉を、いくつか紹介しておきます。
『ちょっと山に来たお客さんから、そこで生活する生き物に変わっていくこと』
『日本国民80年パックツアー』
『自分がもっとも苦手とする要素が結果として現れる。ミーシャの限界は能力ではなく道具になっている』
『食料の調達をあきらめてスーパーに買いに行き、自分で移動することをあきらめて電車に乗り、自分で治すことをあきらめて病院に行く。お金を払って生かされているお客さん』
服部文祥の現在は?
今ではかなりメディアの露出が多くなりました。
登山をしない人でも、彼を知っている人は増えてきているでしょう。
「なんかヘビとか食べる人でしょ?」
雑誌やテレビで姿をみかけますが、私は全面的に彼を支持するわけではありません。
北海道では、獲物の残骸を残してヒグマを呼ぶ危険性で、地元の山岳会とのトラブルもあります。
しかし、誰も考えなかったことを始めて、自分なりの登山スタイルを作り上げることは、なかなか出来ることではありません。
そういう点で、私は彼をすごいと思いますし、好きでもあります。
彼をどう判断するかは、人によって大きく変わるでしょう。
しかし、彼の根底に流れる考えを知ってから、判断するべきだと思います。
彼は何冊も著書を出しています。
そのなかで「これはオススメ!」と思えるものは3冊です。
とくに、1冊目、3冊目、おすすめですよ。