こんにちは、寝袋!です。
以前、北海道の利尻(りしり)山に登ったときのお話です。
利尻岳は「利尻島全体が一つの山」といった感じの美しい山で、日本百名山ということもあって、とても人気の高い山です。
そこでの下山時に、私は一人の年配の女性登山者に出会いました。
女性は、
「去年までは頂上まで行けたんだけどな・・・」
と独り言を言って、ザックを下ろしていました。
この女性は、昔この利尻山で息子さんを遭難で亡くされ、それから毎年、弔いのために登山している人だったのです。
目次
8合目「長官山」にて
利尻山の8合目は、長官山と呼ばれる見晴らしの良い場所です。
山頂が美しい姿を見せてくれ、みんな声を上げるところです。
これから頂上へ、急登が始まる前のちょうどよい休憩場所となっています。
私と同行者が、快晴の利尻山に感動して、気分良く下山してきたときでした。
たまたま、そこへ登ってきた年配の女性が、横で、
「ふう、きついなあ。去年までは登れたんだけどなあ」
と独り言を言ってらして、かなり疲れていらっしゃる様子でした。
「毎年来てらっしゃるんですか?」
と私がたずねると、
「ええ、毎年利尻山は登ることにしてるんです」
と答えられました。
私はのんきに、
「大丈夫ですよ! 去年登れたんなら今年も登れますよ!」
なんて答えました。
我ながら、たいてい下山者から出る言葉って、楽天的で前向きな言葉に決まってるんですよね。
大学生の息子さんを遭難で
立ち話が長くなって、女性はとうとうザックを下ろしてしまいました。
すると、中からお酒を取り出して、岩に掛け始めました。
「ごめんね。頂上まで行けないわ」
というような言葉を掛けていたと思います。
「えっ?」
私と同行者は顔を見合わせました。
山でお酒を掛けるとは、何やらただ事ではありません。
こちらが静かに見守っていると、
「私の息子が、昔、この利尻山で死んだんですよ」
「それから毎年来てるんですけど、私は山登りなんてしなかったので、キツくてねえ」
と笑っておっしゃいました。
「そうですか・・・」
私はそういう返事しか出来ず、先に下山しました。
その時はわかりませんでしたが
その時の私には、「利尻山で遭難」ということが理解できなかったのですが、後々になって、少しずつわかってきたことがあります。
おそらく冬の利尻山
おそらくですが、息子さんは冬の利尻山で亡くなられたのではないかと思います。
夏の利尻山では、遭難事故は発生していますが、年配の登山者が大半をしめます。
しかも、亡くなられるのはごく一部で、若者の死亡事故は冬に集中しているのです。
かなりの上級者
冬の利尻山となると、夏のハイキングシーズンとは違い、上級者だけが立ち入ることを許された厳しい世界です。
「息子さんは、北海道の大学山岳部か、それに近いレベルの登山をしていたんだろうなあ」
ということも、そのときはまったくわかりませんでした。
来年はどうなるんだろう?
このお話は、15年以上前の話になります。
いつもこのことを思い出すわけではありませんが、利尻山のことを考えた時や、その時の同行者と会うと、記憶がよみがえっていました。
「あの次の年も、お母さんは登ったのかな? 今はどうかな?」
山に詳しくない親と、山に詳しい親の心配
今回、この話を思い出したきっかけは、今読んでいる『山のパンセ』というエッセイの、とあるエピソードです。
筆者の串田孫一(詩人・登山愛好家)が、中学生の息子さんが登山に出かけるようになった心境を語ったエピソードです。
子供が登山に出かけると、山を知らない親たちは、山にはどういう危険があるかわからないので、漠然と心配で不安なものだ。
対して、私(筆者)は登山をよく知るが、それでもやはり心配だ。
彼が登る岩場、稜線、危険箇所をすべて知っているし、さらに、山ではつい間違ってしまうことや、避けられない危険があることも知っているから。
というような内容です。
「親というのは、どちらにしても子供が心配でどうしようもないんだな」
と、自分の身を振り返って、親がどれだけ心配しているかに思いをはせたのです。
そして、この利尻山の母親を思い出したのです。
山へ行くたびに心配をし、山で死んだ後も、好きでもないのに山へ登って息子へ会いに行く、母親を。
励ました自分が恥ずかしかった
私は利尻山を下山する時、ずっと恥ずかしい思いでした。
「相手の事情を何も知らず、『大丈夫!行けますよ!』なんて言葉をかけた自分はバカだ。どうしても頂上へ行きたい人が、それでもダメと言っているのに」
私は、ちょっと疲れただけの人を励ますような、母親の思いを軽んじるような言葉をかけてしまったなあ。
あれから15年以上。
当時は調べませんでしたが、じつは今回、利尻山の遭難事故の記録を調べてみました。
すべての記録を調べられたわけではないのですが、もしかすると、亡くなられた息子さんは、私と同い年かもしれないことがわかりました。
もし、息子と同年代の私に、つい声を漏らしてきたのだとしたら・・・そう思うと、さらに悔しい思いになります。
登山愛好家である詩人、串田孫一が残したエッセイ集です。
一話が短いので、空いた時間にちょっとページを開くのにいいんです。
「山へ行きたいなあ」そう思わせてくれる傑作です。
登山者ならみんな知ってるかもしれませんが、おすすめですよ!