こんにちは、寝袋!です。
2009年の大量遭難事故に隠れて、あまり知られないままになっている遭難事故があります。
場所はトムラウシ山、7月、そう、
大量遭難事故と全く同じ状況
で起きてしまった事故です。
以前、たまたま2名の知人が付近に居合わせたことから、事故の詳細を調べて記事にしました。
すると、その記事を読んでくれた人の中で、同じように付近でテント泊をしていた方から、貴重な体験談が寄せられました。
あの日の嵐は、どんなに恐ろしいものだったのでしょうか?
過去の記事と合わせて、遭難事故の状況を知っていただけたらと思います。
目次
どんな遭難事故だった?
大雪からトムラウシへの縦走中だった、高齢の登山者に起きた遭難事故です。
朝からの嵐にも関わらず、他の強行者と一緒にトムラウシ山を目指してしまいました。
その結果、動けなくなってしまいます。
通りかかった登山者に保護され、ビバークするも、そのまま亡くなってしまいました。
人数の違いはありますが、2009年の大量遭難事故と全く同じ状況でした。
情報提供者Aさんのお話
私の記事を読んでいただいたAさんは、その事故のとき、まさにトムラウシ山頂直下の南沼テント指定地で、停滞中だったそうです。
Aさんにしてみれば、まさかそんな日に登山をしている人たちが、いるとも思わなかったことでしょう。
大雪から十勝への縦走中
Aさんたち(2名)は、大雪山系から入山し、富良野岳まで抜ける大縦走の途中でした。
このルートを歩かれたことももちろんですが、その他の山行などのお話などからも、Aさんたちがかなりの経験者だと想像が付きます。
7日は南沼テント指定地で停滞
もともと7月7日は荒れる予報が出ていたため、最初から停滞する予定で入山されたそうです。
フライのロープが切れる!
その嵐は凄まじく、
「テントのフライのロープが1本切れ、2本目も切れそうになったので予備と替えた」
そうです。
おそらく、ガイラインのことだと思うのですが、ガイラインが切れるというのは滅多にないことです。
風の強さが想像できます。
「2009年の呪いじゃなかろうか?」
とテント内で話していたほど、辛い1日だったそうです。
気温はマイナス5℃
気温はマイナス5℃だったそうです。
冬ならばともかく、夏場にその寒さは、慣れていない体にはこたえます。
翌朝はビッシリと霜柱が立って、テントがバリバリに凍っていたそうです。
これは、他の情報でもありましたが、とても7月とは思えませんね。
翌日は快晴
翌7月8日は、昨日の嵐が嘘のように快晴となって、Aさんたちは縦走を再開しました。
無事に富良野岳を越えて、原始ヶ原まで大縦走を達成されたそうです。
遭難事故のことは、富良野岳付近で耳にしたそうですので、それから2日後かと思います。
ちなみに、
「なぜあの事故がほとんど報道もされずにスルーされているのか、不思議でしょうがない」
「同じ過ちを繰り返している点で、もっと警告するべき」
と思われていたそうです。
私の感想をあらためて
まず、Aさんたちのお話をうかがって、確信したことがあります。
Aさんたちは、予備のガイラインを準備してきているほどの経験者です。
なかなかいらっしゃいませんよ。
そういう方たちに限って、ちゃんと停滞しているのです。
そう思います。
経験の少ない人ほど動き、経験ある人はドッシリと動きません。
「動かずに構える事ができる人は一流」
1日待てば快晴なのです。
待つことを決断できるというのは、素晴らしいことだと思いませんか?
今回、追加の情報を書かせていただきました。
みなさんが遭難を避けるために、考えるきっかけになれば幸いです。