こんにちは、寝袋!です。
登山という趣味は、山という非日常の世界へ入っていくアクティビティです。
山は、普段は味わえない刺激や緊張感を味わえる、数少ない舞台でしょう。
戦場を経験した兵隊さんが「あまりにも緊張感のない、平和な街の生活に馴染めない障害」に悩まされると聞きます。
じつは同じように、
登山者がおちいる精神的な「お病気」
もあるのです。
登山者同士では気づかないけれど、一般人からすると、どこかおかしい。
あなたは、かかっていませんか?
目次
登山ウェアが格好いい病
どんなに素晴らしい機能性をもった最新ウェアでも、街ではただの、地味で飾り気のない服です。
着ている本人は、
「どう、俺の◯◯ジャケット、かっこいいでしょ?」
と自慢げですが、一般人にとっては、
「あの人、どこかの作業員かしら?」
と思われているかもしれません。
パタゴニアのフーディニ・ジャケット だって、街では
100均ショップの使い捨てのカッパ?
でしょうね。
登山にのめり込むと、それがわからなくなります。
しかも、買う服が登山ウェアだけになってくると、もう選択の余地はないので厄介です。
さらに、機能性がよくて快適だから、
「やっぱり最高だなあ」
と、ますます気づくことはないのです。
街でも濡れたら死んじゃう病
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登山者は、雨で濡れることを嫌います。
衣類が濡れると、命の危険があることを、山の知識で知っているからです。
雨の日、傘を差しても、雨垂れで肩が濡れてしまうので、
「絶対に、撥水性のアウターは着ていたい」
と考えだしたら、もうダメかもしれません。
足が濡れたらマメの危険を考えるし、速乾性のウェア以外は着たくありません。
仮に街で濡れても、どこかで着替えればいいだけの話ですが、
「そんなのは甘い! バカヤロウ」
と感じてしまいます。
自分がバカヤロウだと気付かない、困った病気です。
景勝地が楽しめない病
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旅行で出かけて、みんなが、
「うわーーキレイ! いい景色だね」
と感動する場所へ行っても、イマイチ感動できないこと、ありませんか?
比べるわけじゃないけど、
「山で観ている、当たり前の風景」
と感じてしまいます。
「うん、キレイだねー」
と、ここは山じゃないことを、必死に自分に言い聞かせるのです。
決して本心を漏らして、同行者の気分を害してはいけませんよ。
その気持ちは、登山者同士で慰め合いましょう。
寝袋のほうが落ち着く病
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家で布団やベッドで寝ていても、たまにシュラフで寝ると、
「なんだかこの包まれてる感じ、落ち着くなあ」
という人、いませんか?
ダウンの柔らかさ、表生地のシャラシャラ感、なんとなく感じる山の匂い。
私もそうですが、きっと他にもこういう登山者、多いんじゃないでしょうか?
これがさらに重症化してくると、毎晩シュラフで寝るようになってきます。
停電が楽しく感じる病
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災害の多い近年の日本。
私も大雨、地震、停電など、毎年なにか経験しているような気がします。
北海道は2018年9月に、地震によるブラックアウトになりました。
いろいろと大変だったのですが、
- 山のように蓄えられているアルファ米
- ありったけのプラティパスに貯められた水
- お湯を沸かすためのガスストーブ
- 必要以上に明るいヘッドライト
- いざ川の水を飲む時に使う浄水器
など、テーブルの上に並べられた登山道具を前に、誇らしい気分でした。
「いよいよ、長年培った登山生活術を見せる時が来た!」
と、どこかワクワクする気持ちを、抑えられませんでした。
あの時は完全に情報から遮断されていたので、家族のことしか考える余裕がなかったのもあります。
危機に際して心躍る
というのは不謹慎ですが、たしかにそういう気持ちはありました。
雉撃ちの可能性を考えてしまう病
不意に大きい方をもよおしてしまった時、トイレを探すのと同時に、雉撃ちの可能性を考えてしまうこと、ありませんか?
以前、◯◯岬という静かな場所で、便意を催してしまいました。
片道15分ほど歩いてきたし、トイレまでもつか微妙でした。
閑散期で周りには誰もいなかったので、相方に、
「ちょっと茂みに入ってヤルわ」
と話すと、
「やめて! ここは山じゃないんだから!」
と強く反対されました。
「ちゃんとわからないように出来るから」
と言っても、
「そういう問題じゃない!」
と話になりません。
結局、なんとか我慢しました。
姿が隠れる茂みは充分だったし、完璧にこなす自信はあったのですが・・・。
「ここは登れるか」を考えてしまう病
道の横の崖とか、高い塀とか、そういうものが視界に入った時、なんとなく、
「ここは、登れるかな? 難しいかな?」
と考えてしまうのは、登山者の病気です。
実際に登るわけではないのですが、高いところを見ると、
登れるか、登れないか
を、まず判断の基準に置いてしまいませんか?
最後に
ちょっと考えただけでも、
登山者が知らないうちにかかってしまう病気
こんなに出てきました。
きっと、まだまだあると思います。
また思いついたら、随時更新していこうと思います。
登山者の気持ち、登山者同士でしか解りあえないことって、けっこうあります。
私たちは、悲しき孤高のクライマーなのです。